Blue Moon Flower
長く眠ってしまったようだった。
徐々に速度を落とした車は丁度ドライブスルーに入るところで、シカマルは外気との温度差に曇った助手席の窓から、光るライトの列をぼんやりと見つめた。途中で運転を代わろうと思っていたのに、と隣を見遣れば、ハンドルを握る男は特に気にする様子もなく、おはよう、と笑いかけてくる。
その男とシカマルは、特に仲が良いわけではなかった。
同じバイト先−あの胡散臭い骨董品店の奥で、マスクを手放さない胡散臭い男、という認識でしかなかった。お互い人当たりは悪くない。だから会えば話はする。ただ、時折感じる視線の先でにっこりと笑うその目の、やはり胡散臭い甘さに多少辟易もしていた。
名前ははたけカカシ。
自分より年上で、犬が好き。
そして高速を走る車のハンドルを握るこの休日も、マスクは外さない。
それがシカマルの知る彼のほぼ全ての情報だった。
「休憩10分、ね」
ドアを開けてそう言うなり後部座席の上着を引くカカシに頷いて、シカマルも上着を引いて外に出た。小走りに出て行く銀髪の後姿を見送って、忘れぬようもう一度ナンバープレートを確認してから歩き出す。
冬の夜は冷え込んでいて、煙草を吸うのに上々だ。
そう思いながら喫煙所に向かって歩いた。
先日、恩師を亡くした。
交通事故だ、事件だ、誤報だなんだと知人からのメールが錯綜して半信半疑のままとなったそれは、彼の葬式で泣き崩れる彼の妻の姿で確定した。恩師とはいえ学校の教師ではなく私的な付き合いであったから、挨拶は形式的なものにとどめて参列した。
無言のまま立ち去る際に見かけた、見覚えのある銀の髪。ふいに合った視線の先でその男は、日頃と変わらぬ目でふわりと笑った。不謹慎だと苛立つ一方で、涙腺が緩んで仕方なかった。
次に彼に会ったのがバイトシフトの木曜日、つまり今日の夕方。
遠くへ行きたいと何気なく呟いた俺に、じゃあ20時に店の前で、と彼が言ったのだった。
そして今、行き先も定まらないままここにいる。
どうしたものかと苦笑しながら、シカマルは煙草に火を点けた。
カカシの運転は上手いのだろうと思う。心地よい揺れと心地よい沈黙の中で、思わず寝入ってしまうくらいだから。勤務中はくだらない世間話を眠そうに続けている彼は、しかし今日は穏やかに寡黙で、居心地の良さに驚いた。
煙を吸い込んで、吐き出す香りに故人を思う。シカマルは思考を止める。
不在の実感は今も沸かず、けれど思い出せば胸が詰まった。
郊外のパーキングエリアは冷え込んで、見渡す景色に光は少ない。手すりにもたれて吐く息は、紫煙に巻けず白く。
ああ、遠くへ行きたい。
空を見上げれば夜はすでに青空を失くして久しく、流れる雲さえ暗く透けて鬱々と見えた。
2本目の煙草に火を点ける。
手持ち無沙汰だった。
ああ、遠くへ。
そう思ったとき、手すりに乗せていた片手に温かいものが触れた。
驚いて見下ろしたそこには、コーンポタージュの鮮やかな黄色の缶。
「冷えるでしょ」
聞こえる言葉の先で、マスクを外した柔らかい目が笑った。
あの日のような笑みだった。
思わず言葉に詰まって無言のまま頭を下げると、シカマルは温かな缶を受け取る。煙草と共に飲むのは躊躇って、手の中でそれを転がす。
その様子をじっと見つめていたカカシは、白い息をついて手すりに並んだ。
しばし無言だった。気まずくはなかった。煙草はまだ半分以上残っている。
隣で黙り込むカカシの手元には開いていないコーヒーが握られていて、出来ればコーンポタージュよりもコーヒーが良かったとシカマルは思った。
そしてぼんやりと吐き出した紫煙に、カカシは笑う。
「似合うようになったねぇ」
手元のコーヒーを転がしてじっと見つめる視線。
「その、煙草が」
マスク越しでない声が優しかった。
年上の男。犬が好きで、バイト先では仕事も投げやりに、眠そうに喋っている男。
運転が上手い彼は、おそらく人に笑いかけるのも上手いのだ。
シカマルは煙草を弄ぶ。泣きそうになる目元を誤魔化して、大人っすから、と笑う。
手の中のコーンスープは、冷えた指先が痺れるほどの温度を保っていた。
それからまた無言でいた。煙草は短くなっていた。
10分経ったよというカカシに従って、灰皿にそれを押し込む。
手、繋いであげようかと言ったのは聞こえなかったふりをして、覚えのある車まで並んで歩いた。
運転、代わりますよ。
言った自分の声は先刻よりも落ち着いていた。
応えて投げられるキーを受け取って、車内に滑り込む。上着を脱いで後部座席に放り込む。
続いて乗り込む彼がコーヒーの缶を開けて、服に残る煙草の香りと混ざり合った。
そしてまた落ちる穏やかな沈黙。
目は冴えていた。
帰り道はまた長く、けれどそれも悪くないとシカマルは思う。
プルトップを上げたコーンポタージュの缶は、まだ仄かに温かかった。
Fin.
もどる